10 月ともなると、秋の夜の闇はあっというまに訪れ、そしてその夜の闇は深く長くなる。
秋の長夜(じょうや)をいかに過ごすか。深く思索するのもわるくない。過去をふり返ってみるのもいい。だが、やはり読書が、この秋の夜長を過ごすにはもっともふさわしい。
すでに21 世紀に入って四半世紀が過ぎようとしている。そのあいだ世の中でもっともおおきく変化したのは、おそらく本を読むことへの衰えだろう。
ネットからあふれ出す、無用といもいえる雑多な情報。インプレかせぎのためのというよりは、むしろ金かせぎのために、いたずらにまき散らされる動画の数々。それら洪水のなか、刹那的なざわざわとした快楽に浸ることの虚しい時間・・・。はたして、人びとはいったいどこに向かおうとしているのか。
そんないま、秋の深い夜にあって、ひとりなにをすべきか。おおげさに言うのなら、それはその人間の人生の質を問うものになりはしまいか・・・。
ちょうど中学の最後の学年のころである。わたしはその一年ほど前から、小さな英語の教室に通っていた。英語教室といっても、いまのような学習塾ではない。県庁勤めで忙しく、わたしの勉強にはほとんど興味のなかった父親が、東京外大の英語科を出た人が県庁に勤めていて、土日のうちの一時間ほど英語を教えてくれるようだから、行ってみないか、とめずらしく薦めてきた。
その先生の家は、わたしの家の近くで歩いて数分ほど。一回目は、英語の教科書だけもってきてくれたらいいということで、行ってみた。中学二年生の秋のころだった。
行くと、生徒はわたし一人。いわば個人レッスンであった。いきなり、学校でおわったところから先の単元(一レッスン)を全部、読んで訳してみなさいといわれた。とつぜんのことで準備はしてなかった。一レッスンどころか一セクションの数行でしどろもどろとなり、とっかかりながら読み始めると、10 分ぐらいして、わかりました。次回まで、学校で勉強した先を読んで訳せるようにして来てください。穏やかに言われ、その日は帰された。
一週間後、教科書に書き込みも入れ予習をして行った。すると先生は、教科書に書き込んだものを見て、まったく手のついていないおなじ教科書を出してきて、その教科書で読んで訳してください・・・。
書き込みを頼りにしていたわたしは、その教科書の前で悪戦苦闘した。すると、次回からは教科書への書き込みはしないでくださいと言われ、すぐに帰された。
そのつぎは教科書を完璧に読み込んで和訳もしっかり頭に入れて、約束の一レッスン全部をすらすら読めて、訳せるようにして行った。途中つっかかりながらも、なんとかすべてを読み終わり和訳して、不首尾な部分は先生に説明してもらう。やっと終わりとなった。
でも、まだ時間は残っている。すると先生は、では教科書を閉じてください。そしていまやったところを思いだし、全部読んで訳してください。えっ! 暗記はできていない。
思いだし思いだし読み始めると、ちがいますね。その間40 分ほど。次回まで、全部暗記してきてくださいと言われ、帰された。
そして4回目。前回の先の一レッスンすべての文章を読めるようにして和訳も完璧にして、その上で暗記までして先生のお宅に行った。途中発音を直され、意味のあやふやなところも直され、つぎには教科書を閉じて、いまやった一レッスン全部をソラで読んで訳した。すると先生は、いいですね、次回もこうしてきてくださいと静かに笑ってくれた。
そんななか、あっというまに一年が過ぎ、中学最後の学年の秋には中学で習う教科書はどこも暗記されていて、読みも意味もすべて理解できていた。まずはひとりで行うこと。
学力は急速に向上した。それとともに、学校の教材からは、もうやることがなくなった。
そのとき先生は、ではこの本を読みましょうといって、一冊の英文で書かれたペーパーバックを取り出してきて、わたしの目の前に置いた。
表紙には「O.Henry The Best Shot Story」とあった。これをお貸ししますので、最初の「The Last Leaf」の三分の一ほどの長さを指定して、ここまで読んで訳してきてください。それだけでいいですから・・・。
家に持ちかえり、英文を読んでみたけど、それは中学生の英語力をはるかに超えていた。
In a little district west of Washington Square the streets have run crazy and broken themselves into small strips called “places.” These “places” make strange angles and curves. One Street crosses itself a time or two.
So, to quaint old Greenwich Village the art people soon came prowling, hunting for north windows and eighteenth-century gables and Dutch attics and low rents. Then they imported some pewter mugs and a chafing dish or two from Sixth Avenue, and became a “colony.”
わからない単語は、たまたまもっていた小さな「コンサイス英和辞書」を指でなぞりながら引いて、意味をたどるのが精一杯だった。
”places” と呼ばれる、いわゆる風変わりで古めかしいグリニッジ・ヴィレッジ地区には、安い家賃で住めるオランダ風の屋根裏部屋などがあり、貧しい画家や画家の卵たちが集まって〝芸術家村〟のようになっている。
そこにたまたまレストランで知り合ったスーとジョンジーというふたりの若い芸術家の卵が、アトリエするため部屋を借りて共同生活するということろで、話が進む。
このオー・ヘンリーの『最後のひと葉』は、最近までいくつかの教科書にも載っていたくらい、よく知られた掌編なので、話の筋を知ってる人は少なくないだろう。
11 月になって、このグリニッジ・ヴィレッジは秋から厳しい冬に時期を迎える。そして、この「places」にはおぞましい「肺炎」が流行する。当時、この病は人の命を容易に奪うものだった。そしてジョンジーは、運悪く肺炎に冒され、死の淵に立たされることになる。そして、彼女が見たのは、・・・
An old, old ivy vine, gnarled and decayed at the roots, climbed half way up the brick wall. The cold breath of autumn had stricken its leaves from the vine until its skeleton branches clung, almost bare, to the crumbling bricks.
煉瓦造りの壁に古い蔦がつるを伸ばしていて、その葉が一枚一枚落ちていく。病に取りつかれたジョンジーは、病で苦しむなかその古い蔦の葉を眺め、最後の一枚が落ちたときわたしは死ぬと悲しく思い定める。そしてそれをスーに伝える。
素晴らしい絵を描きたいという夢と引き換えに、貧しさと困難を選んだ結果、そのなかで死を迎える。そうした情景が、まだ中学生だったわたしに悲しさだけでなく、動揺をともなって未来への不安を垣間見させた。
そこに有名画家になる夢を持ち続けながら、まったく絵は売れず、安酒のジンで飲んだくれる酔っぱらいの老人、たまにモデルをやって稼ぐぐらいの気の荒い小柄な老画家ベアマンが現れる。
老画家は「マスチフ犬」のようなとあったので、数日後、図書館でその犬を探した。ああ、こんな感じの老人か。いかにもひと文句のありそうで、皮肉じみて面倒くさい老人・・・。
老画家は、ある日、スーから肺炎で死にそうな娘が「最後のひと葉」の死神に取りつかれていることを聞く。彼らの住む「places」は、この数日間、酷い嵐の夜が続いていた。そして、枯れた蔦が最後の一枚の葉を残こすまでになった夜。その夜は一晩中暴風雨が吹き荒れ、人も壁も凍りつくような寒さと真っ黒な闇夜にさらされた。
だが、一晩中吹き荒れた嵐は、翌朝ようやくおさまる。その朝の光のなか、ジョンジーはスーに窓のブラインドを開けてもらう。すると「最後のひと葉」が落ちず、まだそこにあったのを目にすることができた。
and – look out the window, dear, at the last ivy leaf on the wall. Didn’t you wonder why it never fluttered or moved when the wind blew? Ah, darling, it’s Behrman’s masterpiece – he painted it there the night that the last leaf fell.”
「最後のひと葉」が散り落ちずに蔦に残っている。そのすがたを見てジョンジーは、いのちの灯火をふたたび宿し、元気なころ願っていたナポリの絵を描く希望をスーに語り出す。
たが、「最後のひと葉」の真実は、老画家が暴風雨の中で古い壁に描いた「葉」だったのである。
そして、描き終えた老画家は容態を悪化させ、入れ替わるように肺炎で急逝する。
ほんの短い、いまなら「ネタバレ」そのものであるようなこの掌編をなんとか英文で読み終えてみて、思い出すに、わけもわからず悲しくなってしかたなかった記憶がある。
生きる希望をふたたび取りもどし、輝く方向に歩み出す若い画家の卵。それに引き換え、場末の貧しい「芸術家村」で最後の絵筆を振るって「ひと葉」を嵐の中で描ききり、死を呼び込んだ老画家。むしろこの老画家のやり遂げたながらも透徹とした淋しさに、そのときの自分は、心の震える思いがした。
中学生から高校生になろうとする思春期のころ、なぜあの先生は、この掌編を読ませたのか。この程度の英文なら、わたしでも読みこなせると思っただけなのか。それは不明でしかない。
つけ加えるなら、作者であるオー・ヘンリーの生涯も、けっしていい人生ではなかった。十五歳でドラッグストアーの店員として働きに出て、その後、職を転々とし、銀行員のときに犯した横領容疑で逮捕され、懲役五年の有罪刑を受けている。
オー・ヘンリーのペンネームで小説を書きはじめたのは、四十歳のころからであり、その数年後、四十七歳のとき肝硬変と心臓病で若くして歿した。それはまるで飲んだくれの老画家ベアマンとかわらない生涯ではなかったか。素晴らしい小説を書く。そして世に出たい。そうしたものの行き先はどこにあるのか。
わたしが、世の中に存在する不条理に敏感になり、うまくいかない人生を送る人びととどこかで離れられないでいるのは、もしかしてあのちいさな英語教室で先生から薦められたこの一篇の物語があったからかもしれない。何事もひとりでおこなうこと。それと、たったひとりで生きてゆく厳しさと孤独。
たしかにこの掌編は短く、ストーリーも単純なものであろう。でありながら、思春期に読むには重すぎるテーマが隠されている。いま思うに、人生の深淵を覗かせられたような物語だったと思い出されるのだ。
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