[書評]瀬川昌久著『ジャズで踊って』
~舶来音楽芸能史~草思社文庫 2023年

ジャズで踊って

 そもそも「知識」とは、ときに野暮なものだが、〝知性〟は、たいていオシャレさを身にまとっている。
 音楽シーンで、博識や蘊蓄を誇るデレッタントdilettante はたくさんいる。しかし、そこに〝知性〟の光を感じさせるものを見つけるのは、なかなかむずかしい。
 『ジャズで踊って』と、洒落たタイトルがついた本書は、500 ページ超にもおよぶ大部な書だが、ジャズやレビュー、ビッグバンドのあれこれが、いかに人びとに愛されていたか。それを、知的に、そしてクールに解説したひとつの「物語」である。
 ページを繰るごとに、この先にはどんなバンドが出て、どんな音が聞けるのか。流行った歌に聞き慣れたメロディー。軽快なタップ・ダンスに日劇ダンシングチームのラインダンスなどなど、二重三重に「物語」を錯綜させながら、時代の熱気をあますところなく描きだしている。


 まさにいまとなっては驚きだが、80 数年前の日本、無謀で愚劣で品性のない惨劇となった「戦争」がはじまるまでの1920 年代から40 年にさしかかる時代に、この国では本書のタイトルとなっている〝ジャズで踊って〟という華やかな時代(ジャズ・エイジ)が存在していたのだ。
 

 著者の瀬川昌久は、この時代のジャズ、ダンス、ショービジネスに健筆をふるった師であり先輩格であった故榛名静男の膨大な資料を道案内に、これら戦前に華ひらいた音楽芸能の燦めきを、インテリジェンス溢れる切り口で描きだした。

 ざっとその音楽シーンに出てくる人名をあげてみるなら、日本ジャズの先達とされるバンドマン井田一郎。大阪の少年ブラスバンド出身の服部良一。貴族院議員の父をもちアメリカ帰りの菊池滋彌と男爵家の子息であった益田兄弟ら慶應大生が結成した「レッド・エンド・ブルー・ジャズバンドRed and Blue Jazz Band」、そして法政大生の作間毅や渡辺良らの「ラッカンサン・ジャズバンドLuck and Sun Jazz Band」、さらに神田の大きな商家の経営者石井善一郎がその兄弟や番頭らと結成した「コスモポリタン・ジャズ・バンドCosmopolitan Jazz Band」などが、この時代につぎつぎと登場する。
 

 浅草オペラのスター二村定一が歌い、喜劇王「エノケン」こと榎本健一の飄逸な歌とトークとコミカルな芝居が人気を集め、日本ダンスホールの嚆矢とされる「フロリダ」の支配人津田又太郎のセンシフルで熱量のある演出と経営・・・。アメリカの歌姫とされたミッジ・ウィリアムスの出現。タップダンスの草分けとなった慶大生の林時夫。ハワイ生まれの二世で日米ともに売れっ子だった歌手兼ダンサーの川畑文子と独学でタップダンスを学び川畑の名パートナーとなった白幡石蔵。そして、アメリカン・モダニズムを身にまとい一世を風靡したダンサー兼演出家の中川三郎とそのパートナーのベティ稲田(二人は本書の表紙を飾っている)・・・。
 

 バンドマンは、なにも日本人だけではなかった。豪華客船で演奏経験を積んだフィリピン人プレーヤーや上海で腕を磨いたアメリカ人なども加わっていたのである。


 さらに「フロリダ」には、日本のジャズにごきげんな喜劇王チャーリー・チャップリンが訪れ、同じく『ロビン・フッド』などの冒険活劇映画の人気俳優ダグラス・フェアバンクスなどが顔を出す。
 この時代、まさに音楽は国境を越えていたと言っていい。

 そして進化をとげた日本ジャズは、スイングと呼ばれ、ベニー・グットマン楽団の「SINGSING SING」を完コピし、その上に自在のアドリブまでつけた服部良一の「スヰング丸」バンドが、ジャズ・ミュージックをスピーディに歌とダンスとスケッチ(楽曲の設計図。楽曲の主要な要素をあらかじめ決定しておくこと)だけでつなぎ、ステージ・ショーとして昇華させる。
 

 そのショーには、〝バドジズ デジドダー〟(『ラッパと娘』)とスキャットを効かしたスイングの女王・笠置シズ子が登場し、ディック・ミネが渋く『ダイアナ』を歌い、ブルースの女王・淡谷のり子のメランコリーな歌声が聴衆のハートを揺さぶっていく・・・。

 ところが、その熱気と盛況は、とつぜんレコードの針が外されたみたいに、あっというまに窒息させられていった。日中戦争が激化し、1939 年にはダンスホール禁止令が発令され、翌年には世間への見せしめのような学生狩りの一斉摘発が行われ、ついに対英米戦争に突入していったのである。空虚な大和魂の暴発と下品な武力の時代へ・・・。
 

 「銀座のトリコロールで美味しいコーヒーを飲んで、日劇のラインダンスを見る」といった昭和期モダニズムは、やれ「適性音楽」だの「売国奴」「非国民」の所業だと非難され、なかには風紀を取り締まる内務省に内通・密告する野村あらえびす(『銭形平次』などの作家で音楽評論家でもあった野村胡堂のこと)などという人間まで出てくる。

 著者である瀬川昌久は、本書のなかで、なにも膨大なジャズ音楽やレビューの知識や蘊蓄を傾けているのではない。いかにスマートでクールなジャズやステージ・ショーが、楽しみと愉快さでインテリや学生、人生の楽しみを求める人びとをつないでいるのか。いい音楽、素晴らしい舞台、ダンスがどれだけ共感と共有をもたらすのか。それを希求する「知性」のありようを説いているのである。じつに読み応えのある一書である。
 

 最後に、瀬川昌久はつぎなような言葉で本書を締めくくっている。・・・最近よく耳にする「うつくしい日本」などという言葉自体、その無知性を表象していると思う。
 瀬川はこの本を著し、まさに言い残すようにして2021 年12 月、享年97 歳で歿した。

(R)