[書評]宮島未奈著
『成瀬は天下を取りに行く』
(新潮文庫2025年)

成瀬は天下を取りにいく

 たまたま地元の高校で、高校二年生の「文学国語」なる教科を教えるハメになってしまった。
 そこであつかわなくてはならない教材は、お定まりの夏目漱石の『こころ』だったりするのだが、それはともかく教科書に載っている教材は、あたかもスーパーやデパートの食品売り場の味見みたいなもので、小説でもエッセイでも、それらの一部分の抜き書きなのである。
 そもそも、これでいったいなにかを教えろ、ということなのか。
 著者の意図はどこにあるのか? 主人公の心情は? それじゃ旧すぎるだろ!
 ならば、文学がもつ芸術性や思想性? エッセイから抽出される哲学・・・?
 とは言うものの、小説なりエッセイの全体像がつかめない限り、そうしたことを現場で生徒たちと共有すること自体が無理難題なのである。いきおい漢字検定まがいの漢字と語句意味? なんてことになりがちなのである。

 そんななか、なにげなく図書司書がもってきたカゴの中をのぞくと、いまいる高校の生徒たちによく読まれている本が、数冊はいっていた。生徒たちが借りだして読み終わった返却本らしい。
 ざっと見渡してみたら、そのなかの一書に宮島未奈著『成瀬は天下を取りにいく』があった。この本の貸し出し回数は、けっこうな数だった。
 2024 年本屋大賞受賞作! 本の帯には麗々しくその文字が浮き出ている。表紙に描かれている主人公の成瀬あかりもいまどきのアニメの主人公のようである。いっちょ、つれづれに読んでみるか。この本に出会ったのは、そんな偶然からであった。

 話は西武大津店閉店という、いまどきの地方都市にはよくありがちな事件からはじまる。そんなとき主人公である成瀬あかりは、友人島崎みゆきに、「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」と宣言するのである。それは彼女らが中学二年生の夏のこと。
 何をするかといえば、地元のローカルテレビ番組である「ぐるりんワイド」に西武ライオンズのユニホームを着て、映り込む、それもさりげなく、なにをスルでもなく、もちろんインタビューを期待もせず、その番組の数分間、ひたすらカメラが指す方向に立ち続けるというものであった。
 それが成瀬の想う、子どものころからずっと通い親しんできた西武大津店へのご恩返しであり、礼儀であり、「たむけ」なのである。
 成瀬は思い立ったら、それを実行せずにいられない。そのストイックさは、そんじょそこらの中学や高校の同級生などには絶対まねができないほどのクオリティを持っている。
 まさにこの小説での成瀬あかりは、無双なのである。それは「ギフテッド」と言い換えてもいい。言葉遣いも女子のふつうのものではない。論理や合理が貫かれ、情緒に流されることもない。まさにぶっきらぼうなのだが、成瀬は相手に対して惻隠の情を宿すようなもの言いをする。周囲を巻き込むいっぽう周囲を気にするでもないが、成瀬と関わる人びとに対して、成瀬は批判とか否定などは一切しない。すべて全力で受け入れる。その意味でも成瀬は無双なのである。

 まずは、成瀬のすごさを書き連ねてみる。成瀬は、子どものころから頭脳明晰、成績抜群。私立あけび幼稚園(存在せず)では誰よりも早く正確にカタカナを書き、さらに大津市立ときめき小学校(大津市立馬場小学校がモデル)五年生のころはシャボン玉に凝り、金持ちが狩っている大型犬くらい大きなシャボン玉を作って地元テレビに出演するのである。
 そして、小学校の卒業文集に書いた将来の夢は、二百歳まで生きるつもりだと書き、大津市立きらめき中学校(大津市立打出中学校がモデル)に入学すると、期末テスト五〇〇点満点の五〇〇点を取ると宣言し、けっきょくは四九〇点だが、だからといって落ち込まない。大きなことを百個言って、ひとつでも叶えたら、「あの人はすごい」になるのだからと、おおいに宣言する。
 中学二年生になると、成瀬は、同じマンションに住む幼いころから女友だち島崎みゆきを誘って「M ー1」に出るという。膳所から来たからってことで、コンビ名は「ゼゼカラ」・・・。そのきっかけになったのは、さきの西武大津店閉店の成瀬の行動だった。
 その後、高校は地元の名門、滋賀県立膳所高校(これだけは実名)に入学するが、なんと成瀬は入学式にスキンヘッドで現れる。高校のうちどんだけ髪の毛が伸びるかの実験だという。入学式ではその異様な頭で、新入生代表のあいさつをこなす。ふつう代表になるのは入学試験一番の子なのだ。そして、クラスでは得意のけん玉を披露して、その圧倒的な技量を周囲に認知させる。
 さらに成瀬は入部したカルタ部で『百人一首』を完璧にマスターし、激しい札取りを展開して異彩を放つ。その後、全国高校かるた大会に出場。そこで広島・錦木高校(存在せず)の生徒である西浦航一郎と出会って、西浦の友人である中橋結希人の取り持ちもあって琵琶湖の観光船ミシガンでデートにおよぶ。
 その後、高二の夏休み、東京大学のオープンキャンパスで、二人は再会する。成瀬は西浦を誘い、西武大津店閉店の影を追うように西武池袋本店へ向かい、その偉容を目にするなどなど、あとは本書を読んでもらえば、中高生の若者だけではなく、おじさんもおばさんも、爺さん婆さんも、そのストーリー展開もプロットもじゅうぶん楽しめる仕掛けになっている。

 と書いていくと、かるーい話がいくつか連なった「ライトノベル」的な印象だが、けっしてそうではないところに、この物語の魅力がある。
 ひとつに、この物語の作法が面白い。と言うのは、この小説の「総合主人公(?) 」は、あきらかに成瀬あかりだとして、それぞれの短編仕立ての章話のなかの主人公は、成瀬あかりの周囲を彩る面々、つまりは幼いころからの女友だち島崎みゆきだったり、大阪のWeb 制作会社に勤務する「タクロー」というハンドルネームを持つおじさんの稲枝敬太であったり、あるいは稲枝の小学校時代からの友人で、これまたおじさん弁護士で自ら吉嶺マサル法律事務所の代表である吉嶺マサルであったり、さらに成瀬と同じ膳所高校生徒である大貫かえで、そして先に出て来た成瀬に心惹かれる高校生西浦航一郎なのである。
 そうした彼らが、あたかも成瀬を取り囲むようにして、それは蓮の華の心房が成瀬で、その心房をまわりの花弁が覆うようにして、成瀬の振る舞いに困惑しながら、成瀬に圧倒されつつ、成瀬の行動に牽引され、成瀬に好意を寄せながら、成瀬につかず離れずしながら、なにか大切なものを暖め伝えるかのように、物語が進行していくのである。
 俗な言い方をすれば、成瀬を見つめている周囲の人びとの成瀬へ降り注ぐ目線が暖かいのである。そして、人間同士が確実にどこかでつながっているという思想がここには貫かれているのである。
 いっぽう、コロナ騒ぎでのソーシャルデスタンスの不自由さ、学校でのいじめや教室カースト、好きや嫌い、関わりたくないという情緒の交錯、「M - 1」出場、地元の「ときめき夏祭り」への出演や裏方仕事、江州音頭の大団円・・・などなど、大津という地方都市であることでの、さまざまないざこざや齟齬、そして郷愁を誘う場面が現れくるのである。
 その極めつきには、子どものころ特別感をもって通い、イベントやなにかの節目にワクワクして行き、そして、ながらく人びとの暮らしや楽しみを支えてきた西武大津店の閉店があった。
 さきにも述べたように、二〇〇〇年を過ぎたころから急速に地方都市が衰退するなか、こうした大型店舗の撤退はおおかた避けられないものになっていった。その寂しさと甘酸っぱい懐古、湧き出るノスタルジー。
 始まりはかならず終わりをむかえ、出会いはいつしか別れとなる。そうした現実、そして過ぎゆく時代の残影。いわば、沈んでいく夕陽の色で染められた風景が展開し、時代の過ぎ去ることへの挽歌がここには詠われているのである。

 本屋大賞なるものがなんであるかは不明だが、予想していた以上に、この小説には、この数年の時代のめまぐるしい転変のさまざまが描かれている。感動がすーっと生まれてくる感じでもある。
 作者の宮島未奈は、この小説を契機に『成瀬は信じた道をいく』 『成瀬は都を駆け抜ける』とつぎつぎに、成瀬の〝ビルドゥングスロマン(成長物語)〟を世に出している。
 いまどきの高校生のように、もちろんおじさんもまたつづけて読みたいと思っているしだいである。

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