季林書房のホームページの
更新をお知らせします。
じつは母の27回忌があり、北東北の山深いお寺にあるお墓までいっていたため、季林書房ホームページは、15日に更新されていたのですが、お知らせが遅れてしまいました。
今回は、「編集者日記」が
更新となっています。
ご覧いただけますと幸いです。
そんなわけで、27回忌のついでに、
東北地方をおもに太平洋側に進路をとって、
15~18日まであちこちめぐりました。
でも、不思議なことに、参議院選挙も終盤だというのに、
仙台で一台の選挙カーに出あった以外は、候補者どころか選挙カーに一度も出あわずじまいでした。
秋田も岩手も宮城も、無風選挙ってわけじゃないのでしょうが、そもそもと通りすぎたところが、あまりにも田舎ばかりで、ほうっておかれた?
気仙沼では、2011年3月11日の震災の傷跡、とくに津波による筆舌に尽くしがたい被害を保存している「気仙沼向洋高校跡」に行ってきました。
ここは現在、気仙沼市の東日本大震災遺構・伝承館となっていて、訪れる人びとになにか大事で、重い問いを投げかけてくれる施設になっています。

<津波で破壊された実験室>

<津波で教室内まで押し流された車>
「3・11」といっても、すでに14年ほどの際月が経ち、けっきょく、押し寄せてきたのは、〝復興!〟のかけ声の下でのさまざまな利権だったりして(この猛烈さについて、いぜん気仙沼市役所幹部の方からしっかりとしたお話しを聞いたことがありますが、有象無象の業者が自民党代議士の名刺一枚で利権をあさるありさまにあきれるばかりでした)、かけがえのない肉親を喪い、家族を亡くし、生活の基盤を喪い、将来の希望も断念せざるをえなかった多くの方々の存在は、すでに遠い過去になってしまったのか。
能登の震災を見ても、まさに政治の貧困さ、予算を国に握られて身動きのとれない「行政」の限界を思わずにいられませんでした。
ところで、政治といえば、参議院選挙でオレンジカラーの政治団体が、急速に伸長しているとのこと。
このオレンジカラー、巨人ファンの集まりかと思ったのですが、「日本人ファースト」などを標榜し、勉強の嫌いな女子は大学などに行く必要はなく、女は家で子どもを育てろ的な家族観を持ち、日本が立派であることを示すための憲法改正が必須であり、これについてはこの政治団体の改正憲法の中身を見たのですが、一言で言うなら、憲法を全く理解していない無知と愚かさだけのものでした(でも自民党の改憲案と似ているかも・・・)。
これまで世界が積み上げてきた人権や平和の「コモンセンス」の感覚から恐ろしいほどズレまくっていて、こうして内には愛国の強制・家族主義の檻、外には外国人への嫌悪(とくにアジアの国々、白人は大好き?)、膨張主義という米国トランプの手法を真似た「似非クサイ」ポピュリズムが、たまらないほど、大衆受けするのかなと思ったしだいです。
でも、この政治集団については、大手メディアのファクトチェックなどで、その虚偽のありようを、一つ一つあげてはいるのですが、そうなると「もっと!」「もっと!」という感じで、人気が出てくる。
もはや、なにを言っても無駄?

もっとも、自分が正しいと思っていることを、相手や他者に否定されることほど嫌なことはありません。それがどんなに間違っていることでも、人にとやかく言われたくはない。
オレンジカラーの集団は、まさに自分たちに注がれる批判を気持ちのいいシャワーを浴びるようにして、気持ちを滾らせているのかもしれません。
じゃ、放っておけばいい? おそらく、彼らの主張は「日本人ファースト」からすぐに「日本人ファシズム」に転じて、自分たちの主張に合わないものに、つぎつぎとデマとフェイクで圧迫していくのが、通例です。
それは、これまでのヒトラーの出現、ムッソリーニの登場、日本軍国主義の台頭と変わらないものとなるでしょう。
では、なぜこうした政治集団に多くの人びとは魅了されるのか? ですね。
それは第一に自分たちが、不当に扱われているという被害感情でしょう。世の中見渡すと、チャラチャラして大金持ちになっているヤツ、うまく学歴を使って、立身していくヤツ、もともとの資産でぬくぬくと暮らして、羽振りのいい奴。そして、難しいことをいって、いかにもえらそうなことをテレビで言って、知識人とされる似非学者や芸人学者・・・。
こいつらと肩を並べて、自分たちのほうが「上」だといいたい。
そして外国人がどうしたこうしたなど、クルド人がいるとか、誰それが朝鮮籍だとか、中国のハニートラップだとか、じっさい自分で、被害にもあったこともないのに、情報に踊らされて、必要以上に「体感治安」の悪化に神経質になっていたり。
つまりは、すべて「情緒」でしか、ものを言えない。よく物事を見て(観察)、それを分析して、いろいろ考えて、そして自分以外の他者はどう思うだろう、外国人排斥をしたら、いま日本で車の免許も取り、さまざまな資格をも取り、日本人の若者の嫌がる「3K」の仕事を黙々とこなしている、介護の現場で、日本の老人に寄り添ってケアしている、その中で稼いだお金の多くを、自分の国の親兄弟に仕送りしている外国人は、どうなるのか。
ある建設現場の監督さんの話を聞いたことがありますが、日本人はすぐに楽な方に流れ、資格を取ったらと勧めても積極的ではないし、きついといってすぐ辞めるんだそうです。
しかし、出稼ぎにきている外国人は違うといいます。
かつて、日本人移民がアメリカ大陸に渡って、灼熱の太陽と乾いた砂地しかない「インペリアル・バレー」に入植して、何年も月の出ているころから働き、星が出るころまでこの荒野に出て、まずはウマゴヤシを作り、それからスイカやメロンを栽培し、営々と這いつくばるようにして働いて、そしてわずかに貯めた資金で食料品店やクリーニング屋をして、せめて子どもたちには学問させようと大学まで送り、しかしながら大学を出ても、アメリカ市民権を取っても、子どもたちまでジャップと罵られ、フルーツスタンドでオレンジを売るくらいの仕事しかなく、そんななか米日戦争があり、日系人は砂漠の過酷な環境の収容所に送られ、それでも、働いて働いて、アメリカ社会で生きてきた歴史があります。
外国人を差別する感情は、日系人に向けたアメリカ白人とどこも違っていません。
もちろん、外国人を雇っている大きな企業では、カルロス・ゴーンみたいに、巨万の富を稼ぐだけが目的で、会社愛もないし、仕事も適当な外国人もいるかと思います。
しかし、どうも現場はそうなっていない。
まずは、よく見て考えることが大事なのです。
しかし、この集団は、現実を見るのが、恐いんでしょう。
これまで、歴史がよくたどってきたありようを、ふたたびくり返すだけの矮小な知能なのでしょう。
とは言うものの、この巨人ファンと紛らわしい政治集団が差別と分断を声高に主張して、けっきょくは「この国」を破壊に引っ張り込もうとしている危惧はあります。むしろ政治集団というより、その支持者たちの愚かさにそれを感じます。
もっとも、わたしの声などに、この政治集団のグルーピー、大衆は耳を貸しはしないわけです。嫌なことは言われたくない人たちですから・・・。むしろ、「ちょっと、なに言ってんのかわかんない」といったところか。
いずれにせよ、母の27回忌と震災のすさまじさ、それを感じとっての夏の数日間でした。
さて、次回の季林書房のホームページは、8月15日に更新です。
今度は、【書評】が更新されます。
本も遅々とした動きですが、進んでいます。じっくりやります。
そして、みなさまには、暑さのなか、くれぐれもご自愛を。
暑中お見舞い申し上げます。
