五月晴れのすがすがしい、いい季節になりました。
季林書房ホームページが更新されました。
今回の【書評】は『茨木のり子詩集』です。ぜひお読み下さい。
また、好評の『編集者日記』もぜひ、お読みいただけると幸いです。
ちなみに、詩人茨木のり子は1926年生まれ。まさに、あの暗愚な戦争のさなかに、旧制の高等女学校に通う女生徒でした。
そうした時代を感じながら、茨木のり子の詩を読むことは、いままたとても大切なことのように思います。

<銃後の守り 勤労動員で働く女生徒たち>
ところで、4月27日開講の
『〝敗戦〟とこの国の〝瑕疵〟を考える!』の講座も、会場を品川区キュリアンに移動して、新たにスタートしています。
そんななか、知識の乏しい大衆を煽動するかのように、あきらかに意図を持った歴史修正の輩が、いつものように徘徊しはじめました。
沖縄戦が起こったのは、1945年4月から6月。ちょうど雨の降りしきる梅雨のさなかでの戦闘でした。
沖縄戦を知ったかぶりに語る者に、そもそも粘り着く南国の梅雨への想像力はあるのか。
血と泥濘と死臭、きな臭い火薬と恐ろしい音を立てて耳を破壊する爆音、灼熱の炎があっという間に伸びてきて、すべてを焼き尽くす火炎放射器のすごさのなかで、ひとびとは地に這うようにして逃げ惑う。 その戦争の酷さと惨さに、そうした輩の想像力はおよんでいるのか。
沖縄のひとびとは、沖縄に進駐してきた軍隊(第三十二軍)への奉仕を義務づけられ、さらにその軍に翻弄され、多くの者が野に亡骸をさらすことになりました。それは、ひとりひとりの沖縄本島のひとびとの人生における事実として、いまなお残る現実です。
それを、ちっぽけな計算づくの〝政治〟的虚勢で貶めていないか。
軍は、けっして住民や民衆を守りえない。それはソ連軍のいきなりの侵攻に、開拓農民を見捨てて、なすすべもなく本土に逃げ帰った関東軍のエリートたちの振る舞いを見ても否定できることではないと言えます。
沖縄では、自らを守る防波堤として、軍は沖縄県民をときに盾とし、集団自決を迫り、スパイだとして処刑したこと。それは忘れてはならない記憶として、静かに、またときとして激しく口伝えられています。
そんななかでの講座となります。まだ参加は可能です。
以下、Flierを貼っておきます。お申し込みは、
npo.shinjinkai1989@gmail.com
です

