春になり、いくつか、展覧会に行ってきました。
芸術にふれて、目も心も嬉しくなりました。
そして、ふと感じたのは、何十年か前にも同じ作品を見ていたはずなのに、いまは、その頃とまた違ったふうに見えてくるということ。
好みが変わったというわけでなく、年月を経て、解釈の仕方や感性みたいなものが自分なりに変わったのかも。
自分でも気づかないうちに、変化というか、よく言えば、成熟のようなものを得ることができていたのかもしれません。


春になり、いくつか、展覧会に行ってきました。
芸術にふれて、目も心も嬉しくなりました。
そして、ふと感じたのは、何十年か前にも同じ作品を見ていたはずなのに、いまは、その頃とまた違ったふうに見えてくるということ。
好みが変わったというわけでなく、年月を経て、解釈の仕方や感性みたいなものが自分なりに変わったのかも。
自分でも気づかないうちに、変化というか、よく言えば、成熟のようなものを得ることができていたのかもしれません。

画家などが、歳を重ね、一般的には晩年と言われるころになると、それまでより、より自由だったり、鮮やかだったり、なんというか、無邪気な作風で作品を描くことがよくあります。
技巧や理屈から解放され、のびのびと宙を舞うような、そんな作品を観ることが、とても好きです。

先日、なにげなくテレビを見ていたら、戦争を体験された老紳士に、どんな生き方をしたかったか? というような質問が投げかけられ、その老紳士は、静かに「平和に一生を生き抜くことですかね」とこたえられていました。
番組は、戦争のない平和な世界を訴えるという主旨でのつくりでした。
そのことは、もう、言うまでもありません。
戦争や犯罪に巻き込まれず、与えられた一生を生き抜けることが、まずは重要ですね。
それを聞きながら、自己の内面の平和を保って、一生を生き抜くのも、簡単なことではないかもしれない。そんなことをぼんやり考えていました。
近代化や都市化という面では、“生産性”のみが重視され、歳を重ねることで、その価値は減少していくものと捉えられがちです。
歳とともに身体が衰えていくのは自然なこと。でも、心までも衰えさせてしまうことのないようにしたいですね。
先の画家たちのように、できるなら、歳を重ねることで成熟し、心の自由を手に入れるように、生き抜いてみたいものです。

最後に、90歳まで生きた葛飾北斎が75歳の時に『富嶽百景』で記した以下の文章をプレゼント。
己六才より物の形状を写の癖ありて、半百の比より数々画図を顕すといへども、七十年前画く所は実に取に足ものなし。七十三才にして稍(やや)禽獣虫魚の骨格、草木の出生を悟し得たり。故に八十才にしては益々進み、九十才にして猶其奥意を極め、一百歳にして正に神妙ならん歟(か)。百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん。願くは長寿の君子、予が言の妄ならざるを見たまふべし。
画狂老人卍筆
こんな心情になれる書籍を、季林書房からもお送りしたいです。